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2020
02.13

娘が統合失調症になりました。

Category: 心と身体
  昨年の10月、娘(次女)が、入院しました。

精神科です。


ここまでの経過を簡単に

記録します。

とても長くなります。

読みたい方は続きをどうぞ・・・

   ↓


  
    ☆彡  出生  
 

  昭和61年11月頃、出産にため岩手の実家に帰省。

長女(2歳)を連れて、大きなおなかで新幹線にのりました。

多分、夫が大宮まで送ってくれたと思います。


 実家の母と弟が長女の面倒を見てくれました。

長女はおばあちゃん(母)や弟になついており、たくさん遊んでもらったり

字を覚えたり、言葉も普通に話せるようになっていました。

1988年、11月31日、陣痛がはじまりました。

二戸のとある病院、電話して、15分間隔になったころ

荷物をまとめ、弟の車にのりこみました。

外は真っ暗で、雪がこんこん降っています。

山の中を走る車。

サイモンとガーファンクルの音楽が流れています。

陣痛でお腹がいたいのに、嘘のようなしっとりとした時の流れ。

幸せな、陣痛すら楽しめる?不思議な世界でした。

病院に到着。

浣腸かな?トイレに入り、周りのようすを覚えています。

広い個室は12畳ぐらいあり驚きました。

向かって右の畳の上に炬燵があり、左側には

ベットがあります。


急いで出産用の寝具に着替えました。

その時はもうすでに陣痛が絶頂期で、弟の目の前で

ゆかたに着替えています。(恥じらってる場合ではない)


「早く行ったほうがいいよ!」

母が言いました。

前回の失敗を思い出し

早めに、出産室へいきました。

すでに分娩代が用意されていて

よっこしょと台にのりました。



あっという間でした。




超安産です。


本当に、痛みもほとんど感じなく

するりと出てきた感じでした。


「かわいい女のお子さんです!」

長女の遊び相手が欲しかった私は

嬉しかった。

心から喜びました。(夫には悪いけど・・・)

産声が聞こえます。

白いタオルに包まれて私の前に

もってきてほしかったけど

それはなく

私は直ぐに、後産の処理


娘に会ったの12月1日の7時くらいです。

朝食は食べますか?

と看護婦さんに声を掛けられ

「はい」と答えたことを覚えています。



ベットの前に運ばれた赤ちゃん

真っ赤で、しわしわで

サルみたいだった。(ちょっとショック)


退院するとき

きれいなベビードレスを着た赤ちゃんの娘。

小さなベビーベットをのぞき込み

婦長さんのような年配の看護婦さんが

ニコニコ笑いながら言いました。

「きれいな赤ちゃんですね

長いことここに努めて、いろんな赤ちゃんみてきたけど

こんな綺麗な赤ちゃん初めてです。」

半信半疑でベットをのぞき込むと

そこには天使のように眠っている可愛い赤ちゃんがいます。

観音様のように神々しく、後光がさしているかのように

輝いています。

「本当だ!」

「ね?」

「ありがとうございます!」

カーテンを開けると朝日が出ていて

キラキラ輝いていたことを思い出しました。


(中略)

アパートの部屋

ベビーベットですやすや眠っている赤ちゃん。

おっぱいの時間、おむつ交換の時間、

あまり泣かないので、自分から時間を図って世話していました。

・・・・・・・・・

「生きてる?」

主人が聞きます。

「うん、大丈夫」

あんまり音無しすぎて、生きていることを

確認したくなるほど静かでした。


こんなことってあるんpだろうか?

寝息すら立てずに静かに、ただひたすら寝ている

赤ちゃん。

おしめがぬれても、おなかがすいても

泣かないのです。

まるで赤ちゃんの人形のようでした。

でも、本当に可愛かった!

長女、三歳は何度も何度もベットに近づき

お話したり

オルゴールを回してあげたりしていました。

一か月検診、三歳児検診、

何も問題がなかったと思います。


親子4人、楽しい月日を過ごしました。

(中略)












   幼稚園~高校卒業まで



その後、幼稚園入学

入園式の日に前髪を自分で切って

しっぱいしたまま、変な前髪で出かけました。

写真を見るたびおかしくなります。

先生は新米のかわいらしい方でした。



ご近所のお子さん達、7人ぐらいと、一緒に通園バスに乗り込み

毎日元気に通園していました。

参観日、運動会、発表会

いろんな楽しい思い出があります。

それは、また後程・・・(思い出すのに時間がかかりそう)


小柄で、アトピー性皮膚炎。

男の子と、ゲームばかりしていました。

神経衰弱が得意で、誰も彼女にはかなわない。

野菜が好きでバリバリ食べていた。

ご近所の下級生の子供たちを牛耳って?

姉御みたいな存在だった。

今からは考えられないほど活発な子供でした。



年長さん、

3月、卒後式の前日

妹が生まれました。

これが、人生で最大の大きなできごとだったと思います。

卒業式、入学式は、岩手から上京してきた母と、夫、

(パパ、おばあちゃん)と一緒に出ました。



言葉を覚えるのも早く、字も完ぺきに覚えていた次女は

何の問題もなく、地元の小学校、(higatokosyo0)に入学しました。

成績も素晴らしかった!



2年生の小島先生の時

一度だけ不登校になりました。

先生にお叱りをうけて

無理やり引きずるように連れて行きました。

ニコニコ笑って出迎えてくれた先生

恥ずかしそうに教室に入っていくのを見届け

かえって来たのを思い出します。

あの時、叱ってくれた先生に感謝です。

きびきびした、竹を割ったような、目のくりくりした若い

先生でした。(小島先生)

さきは、小学校にはいると急におとなしくなりました。

参観日でも、わかっているのに手を上げようとしない。

あてられると、きちんと答えるのに・・・・

大勢集まる場所が苦手なのかもしれません。


小1~ヤマハのピアノ教室(個人レッスン)に通っていて

年に数回発表会にでていたと思います。

これは、はしょりましたが、三歳からヤマハ音楽教室に

通っていました。

歌がとびぬけて上手でした。


(中略)今日はここまで・・・・








友達や家族に対して思いやりがあり、

心が美しく、優しいのが、わかりました。

問題ない。

しっかり娘。

そう思って、頼って、甘えて、期待すらしていました。



あの頃、いろいろ、いろいろ、

子供なりに、悩んだり

我慢していたのでしょう。



家族に、友達に、先生に

ご近所の人達に

いろんな問題があると気が付き

頼る事をあきらめ、一人で、頑張り、

心悩ませていたはずです。


まるで、大人のように・・・・




繊細で、ガラス細工のような彼女の心の叫び

誰も気づいていなかった。




平成10年、4月。

突然

転換期が訪れました。

マンションの購入です。

10年暮らした土地を去り、アパートからマンションへ

新しい生活が始まりました。

長女は小学校を卒業して中学生。

三女は、幼稚園卒園して小学一年生。

姉妹はちょうど節目の年でした。

ほとんど同級生は新入生、

一からスタートです。



しかし、

当時小三だった次女は、

転校を余儀なくされました。

4年に進級するも、友達のグループには入れてもらえない。

慣れない、汚い学校で(前の学校は新築だった)

いろんな場面で、つらい思いしていた事でしょう。


ごめんなさい。(あなたなら大丈夫だと過信していました)


それでも、三人ぐらいお友達ができました。

(今思えば、似たような境遇の子供たちでしたね。)






   <不登校になる前兆>




あの頃、娘はとても

悩んでいました。

私には

いろいろ話してくれたけど、

私は話を聞くだけで、何もしてあげられなかった。

友達問題

いじめ?

登校班問題、

私の問題行動
夫の不理解・・・

ピアノ教室をやめたこと。

人間不信?

自信喪失。




限界だったのでしょう。

心が、疲れ果てた。

そう思います。



<不登校~ひきこもり>



小5の三学期、インフルエンザにかかり

一週間ぐらい、学校を休みました。

それがきっかけで、不登校が始まりました。

どうしても、ふとんから出れない。

叱られても、脅されても

動けない。

・・・・・・・・・・


たぶん鬱病だったのでしょう。


ほとんど一歩も外に出ないまま一年半が過ぎ去りました。

このころはまだ、リビングにも出て、テレビもみて

本も読んで、食欲もあり、家族とも会話していました。


小6の三月、

不登校のまま、卒業シーズンを迎えます。

卒業式には、岩手のおばあちゃんが来てくれて

おこづかいをもらって、騙されて?

いやいや

おばあちゃん(母)のおかげで

卒業式に参加することができました。

その日、担任の先生が笑顔で迎えてくてました。

友達も数人きて、にこりと笑っています。

しかし、4年生からずっと仲の良かった親友はいませんでした。

両親の仕事の関係で引っ越し、転校したようです。

「さよ~なら」「ありがとう」

「またねー!」

みんながワイワイ、最後の記念写真を撮っているところを

すりぬけ

親子で、

(おばあちゃんは、三女の子守りでいない)

逃げるように帰ってきました。

後ろ髪惹かれるような、さわさわした、寂しい気持ちだった。

恥ずかしいの?

寂しいの?

とにかくその場を早く離れたいのです。

ムスメも、随時無表情で、固まっていたように感じました。

無理に笑顔を作っている自分を、もう一人の自分が俯瞰して

見ています。

「これで気がすんだのか?満足なのか?」

家に帰ると母が満面の笑顔で出迎えてくれ、ちょっと泣きそうになりました。




  中学は1学期の10月まで普通に登校いまし

徐々に不登校の期間が長くなっていきました。



中学2年、まったく登校できないどころか、外にも出られない。



その後、中学卒業まで、ほとんど外出できない状態でしたが、

3年生の担任の先生がとても優しい方で、いろいろ親切にしていただきました。



卒業式は、校長室。

親同伴でした。(私)

先生方が、並んで拍手してくれましたが

本人は緊張して、微妙な顔をしていました。

賞状をもらったあと、たった二人で記念写真を

とった記憶があります。




その後、担任先生の指導され、通信制の高校に進学しました。

国分寺にある高校です。

主人と一緒に何度も練習し

スクーリングにも一人で行けるようになりました。

三年間、充実した楽しい日々だったと思います。

単位がたりなくなりもうちょっとのところで累年。

もう一年、頑張りました。

提出物が間に合わず、(私も手伝ったりして)

それは、それは、苦労したと思います。

勉強はもともと好きだったから、好成績で単位をもらいましたが、

体育や、行事など、コミュニケーションが必要な科目、

美術など、外に出て写生しなければならないもの、アイデアが必要な

作品など、どうしても期限に間に合わず、ため込んでいたようでした。

(まるで、小学校の夏休みの宿題のように)

今だからいいますが、

写生(景色)は、私が描きました。

うますぎてばれないよう、適当に

手抜きするのが難しく?苦労しました。

申し訳ございませんでした。



しかし、小学校のお裁縫、エプロンは彼女が一人で全部

ミシン掛けして作ったのに、うまくできすぎて

先生に疑われ、成績は空欄になっていたのが悲しかった。

ねえ?がっかりしたよね、あれは。




とにかく、いろいろあったけど、

通信制の高校を無事に卒業しました。

これは、本人の血を吐くような努力と

両親の優しさ?があったからだと思います。

大いに褒めてあげる事ができる4年間でした。

で、まもなく卒業式の通知がきました。




しかし、どうしても卒業式には出られない。

念願だった、友達もできませんでした。

仕方がなかったと思うしかありません。累年したし、

一か月に一回のスクーリングでは、なかなか難しいようです。

あと、卒業式用の洋服を慎重してあげなかった事も

理由の一つだったかもしれない。

いつも、いつも、お姉さんのおさがりでごめんなさい。

進学する充分な費用もなく、

我慢ばかりさせてしまいました。

ごめんなさい。



   再び引きこもり~現在まで



希望の大学も就職もなく、推薦も、指導もなく、

目的のない?長い一日が始まります。

好きなことばかりできるはずなのに

いろんな症状が邪魔をする。

葛藤と反省と、怒り・・・・悲しみ・・・

最も、つらい日々だったと思います。


いろんなところへ相談に行きましたが、本人が

外にでれないので、どうすることもできなかった。



そして、

なすすべもないまま、あっという間の

20年が過ぎました。

 ( ちなみに、次女の病気のことはブログではほとんど紹介していません。)



私たち家族は、そんな生活に慣れていきました。

見ないふりをして逃げているです。

どんなに逃げても、現実は現実

事態はどんどん悪化するばかりでした。


家庭崩壊寸前。



正気を保つには、仕事に、架空の世界に

逃げるしかありません。


ごめんなさい。


ここに行きつくまで、数年間、

ひどいものです。

夫と娘に甘えていました。


でも、それも

正直つらかったです。

戦いの毎日でした。

なので、

入院が決まった時、

夫も、私も

涙が止まらなかった。

嬉しいのか、悲しいのか?

それすらわからなかった。

ただ、ただ、涙があふれてしかたないのです。

私なんか、思わず通り過ぎ声をあげて号泣してました。(TT)


 












 主な症状は幻聴と、摂食障害です。

過去に、

潔癖症、強迫性神経障害、発達障害、なども出てきました。

pms 感情の起伏が激しく、鬱になったり、暴力ふるうこともありました。

クリニックに連れていくこともできず、ただ、ただ、耐えるばかりです。



入院する頃は新たに、チックのような、目に見える

症状が出てきました。

首をカックンカックンさせたり、のけぞったりもします。

しかし、本人は、おなかが痛いだけなのです。

たくさんの病院を渡り歩きました。

2019年10月4日(日曜)池袋のクリニックで紹介状をもらい、

当日すぐに、精神科のある病院に行きました。

緊急外来で、診察してもらうことが出来ました。


娘は、しっかりしているので、一貫健常者に見えます。

入院を断られそうになった時、例のがっくんがっくんが出ました。

そして、おなかが痛くなり、幻聴が聞こえると訴える娘。


一遍しました。

2019年、10月4日(日)20時、入院が決まりました。








翌日、担当に医者に面談。

精神科医に「もっと早くきてほしかった」と言われたときは

私も主人も深くうなだれてしまいました。

2か月入院後任意退院しましたが、消化器系の病気のため

今度は救急車で、内科消化器科で、入院しました。

そこで、問題をおこし、一か月後退院しました。

 今は、通院しています。

問題は、そのまま続いていて、

生活は結構大変です。

そして、意外に楽しい💛




  では、また。(^-^)/

 ありがとうございました。

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