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父の危篤~亡くなるまでのお話。

 父が亡くなった。

2014年8月21日、午前零時47分、
父の82年間の長い人生に幕が降りた、


8月27日、7日の法要を済ませ、
新幹線にのり、埼玉に帰ってきた。

訃報を受けた20日から、まるまる一週間、
めくるめくような忙しい毎日でほとんど眠ることが
できなかった。
でも、そのかわり、面白くて不思議な体験をいっぱいした。
最後に元気な姿を見ることも、言葉を交わすことも
できなかったけど、いろんな現象を目の当たりにして、
お父さんはいつも私のそばにいて、常に私を見守っているんだと
感じる事ができた。
父の心温まる、最後の贈り物を私はしっかり
受け止めたいと思っている。

お父さん、
どうもありがとう!!
一緒にすごした楽しかった日々を
私は一生忘れないよ!
これからも、いっぱい、いっぱい楽しい思い出つくりましょう!


去る、2014年8月20日、
パート先で、父の危篤の知らせをもらった。
はじめ、事務所の女性が私の働いている職場の入り口に来て、
電話が来た事を知らせてくれた。
「先ほど娘さんから電話があり、叔父さんから電話があったので、私に伝えて
ほしいと頼まれました。お電話で変わりますか?」

娘のおじさん=弟?

危篤かもしれない?

!!!

嫌な予感がしたので、やっていた作業を放り出し、ロッカールームにある
携帯で、娘の携帯へ電話した。

「もしもし・・・」

「あ、岩手のおじちゃんから電話があって、お爺さんが危篤だって」

「わかった」

その日はお盆の休み明けにはいったばかりで、シフト交代でお休みをとっていた。
休み明け二日目の当日も、5人ぐらいの休日で、かなりの人手不足。
仕事が全体的に遅れていて、残業覚悟で頑張っていた。
15時半、後ろ髪を引かれる思いであったが、一生に一度の事、
一刻も早く帰ってあげるべきだと判断した。
先輩にその思を告げて、簡単に挨拶をしてから、ものすごい勢いで着替えて、
転がるように外に出た。

「もしもし、どうしたの?」

「うん、今、お父さんが危篤だ」

危篤って、もう全然間に合わない感じ?」

「うん、もってあと二、三分、(え~??)と医者が言って、

みんな集まって来たって感じだったけど、 (だけど?)

いったん持ち直して・・・、(もちなおして?)

今は、安定しているけど、またいつ発作がおきるかわからないし、

発作が起きたら今度こそ危ないかもしれないと、医者が言っていた。


自分は今どんな状況かを話して、
準備が整い次第、急いでそっちにむかうつもりであることを
伝えた。
急に、声が明るい感じになった。
「来るの?」
「もちろん」
「わかった!!」

娘と二人で帰省のj準備をして自宅を出る。
大宮に着いたのが7時くらい。
新幹線の発車時刻までまだまだ時間がたっぷりあったので
夕食をとることにした。
駅ビルのお店でサンドイッチとコーヒーのセットを注文して
二人食べた。
明日はおばあちゃん(実母)の誕生日であることを
話した。何かいいものがあるか探してくる、そう言って
長女がルミネに入っていった。

一人でアイスコーヒーを飲みながら、長女の帰りをまつ。

「なんてことなんだ」

のんびりコーヒーを飲んでいる自分と、
母の誕生日のプレゼントを探しに行った長女、
こんなにのんびりしていていいのだろうか?
しかし、あせったところで、どうすることもできない。
新幹線は、定時にならないと来ないのだから・・・。

しばらくして、娘が戻ってきた。

「いいものが見つからなかった」

「・・・・・・・・・」

娘は、おばあちゃんのプレゼントをあっさりあきらめた。

午後8時半。

新幹線が発車するまでのあいだ、お土産のお菓子を選んだ。
キヨスクで、ひよこまんじゅうと、もうひとつ日光パンみたいな
白い包装紙で包まれたお菓子を選ぶ。

出発は午後八時45分ぐらいだった。



(中略)

11時59分
改札前に、姉が待っていた。
母も連れてきたようだ。
4人で、真夜中の山道を車で移動した。
照明がほとんどなく、あたりは真っ暗である。
駅から病院までの最短距離で行ける道を知らなかった姉は、
自分の得意なコース(駅から実家近くの交差点まで行き、そこから目的の病院に向かう)
で走らせていた。
つまり、普通ではありえない、遠回りの道のりを走っていたことになる。


駅から病院までひどく遠く感じた。


いくつものカーブをまがり

車が苦手な娘が気持ち悪くなるのではないかと心配であった。

この辺はいつも通っているが、こんな真夜中に運転するのは始めてだからと

必死でハンドルを握っている姉と、

駅で再会してから、ほとんど何も話さない母。



いろんな意味で

怖かった。


姉は慣れない事に緊張しているのか、時々なにか質問しても
まったく返事が返ってこなかったりした。

母は、耳が遠くなったといっていたので

いま、この時点、車で楽しく会話するのは不可能だと判断した。

その様子を見ていた娘も、何度も同じ質問しては、首をかしげている

私を、笑ってみていた。

沈黙の中、車はどんどん深い林の中?に入っていく。

後ろを振り返ると、まったく何も見えない暗黒の闇。


反射灯だけが頼りの細い道と、姉のハンドル裁きをを見ながら。

もしかしたら、

このまま、永遠に病院にたどりつけないのではないかと

心配になったくらいだ。




そんな、不安な気持ちをよそに、
遠方に一見ペンション風のかわいい三角屋根の
建物が見えてきた。

森の中にあるレストランを連想した。

着いたよ。

私たちは、荷物をもって真っ暗な病院の中に入っていった。



ここは、病院の中。
病院に到着してから、二日目のことである。



父の容態はかんばしくなかった。

もはや意識はまったくなく

やせ細った手首には点滴が注入され

顔には、酸素マスクが貼り付けられている。

誰がいくら呼びかけても

意識が戻ることはなかった。


二日目、本家の夫婦がお見舞いに来た。

奥さんが、父のほほを両手で軽くたたき、

ずっと閉じたままの瞼を親指と人差し指で無理やりこじ開け開かせてくれた。

「お父さん!」


一瞬ではあるが、私を見たような気がした。

「こっちを見てるように見えるけど、見えているのかな?」

弟が首を横に振った。


実家の夫婦が帰ったあと、私も同じようにやってみた。

目は開いているのに、視線があっているのに、

本当に父が、私をきちんとを認識している感じではなかった。

ゆっくり手を離すと、瞼はまた元通りに、しっかり閉じられた。

しかし、私はみた。

父の目から、一粒の涙がこぼれてきたのを・・・・。

お父さん、遅くなってごめんなさい。

本当によく頑張ったね!!



そこからは、よくもならず、悪くもならず

安定した様子で時間がすぎていった。

弟だけが、ひと時も休むことなく、お父さんの足首を

一生懸命マッサージしていた。



翌日の夜のことである、
10時~11時半。
私と娘はロビーにいた。
「若者たち」というドラマを見るためだ。
このドラマは私のお気に入りで、毎週欠かさずみていたものだった。
この日はやっぱり娘も誘って、一緒に観ることにした。
(弟は知らなかったみたいなので、一人病室に残ってもらった。)
三人で交代しながらの看病だったが、やはり一番疲れていて寝不足なのは
弟ので、交代しなければならないはずだったのに、私たちはテレビドラマを優先していた。

 この日は(ここでは?)「若者たち」は10時半~11時半の放送になっていた。
しかたなく、始まるまで「ほんまでっか」を見ながらオセロをした。
娘とオセロをするなんて本当に珍しいことである。
勝敗は娘に渡ったところで、ドラマを真剣に見始める。
途中、看護婦さんが来て、
「ロビーの使用は11辞までですよ」と注意された。

「すみません」

と誤ったが、入るときそんな張り紙はどこにも見あたらなかった。
それどころか、ナースステーションの看護婦さん達は、テレビを
見ながらオセロを楽しんでいる母娘を暖かい目で見守っている
ようにすら感じていたので、びっくりした。

「すみませんでした」




確かに、24時間、完全看護は大変だし、
ほかの患者さんにも魅惑かけてしまったと気がつき
軽薄な行動をしてしまったと、二人で落ち込んでいた。

誰もいないから変だなあとは思っていた。
真っ暗だったし。
しかし、それでもドラマを見たかったのだから、本当に
あきれたものである。

11時半、お座敷の待合室へ、すかさず移動した。
お昼はラーメンで、夕飯はお弁当(寿司)だった。
半額のお弁当を狙って、9時過ぎに弟と私の二人で買出しに行ったのを
覚えている。

その間、娘がたった一人で看病していた。


お座敷に持ち込み、三人で一緒にお弁当を食べた。
残り物だったけど、お寿司なんて本当に久しぶりで美味しかった。
三人でわけあって食べたマカロニグラタンも、めちゃくちゃ美味しかった。


この間お父さんはたった一人で病室にいたことになる。

30分ぐらいであろうか?



前の晩からほとんど寝ていなかったので私も、娘も、弟も
寝不足である。
お弁当を食べ、ドラマを見終わった途端、案の定、いっきに睡魔が襲って来た。
二人でほんの少しの間、父のいる病室に行ったけど、弟がまだ頑張っていたので、
3時ぐらいまで弟に任せることにしようと心に決めて、
娘と二人、畳の待合室へ戻った。
「なんかもう、数値も安定しているし、私たちだけでも少し眠ったほうがいいかもね」
「うん、でも大丈夫かな?」

「うん」

「できれば3時くらいに交代してあげるから、なんかあったら呼びにきてね。」

そういいながら、病室を出てきた。

そこは八畳位の畳の部屋で、部屋中に畳のにおいが十万していた。

弟はそのにおいが気になって、そこでは眠れないとも言っていた。

「じゃあ、おやすみ・・・」

弟が病室に残り、私たちは再び待合室で仮眠をとることにした。

ずっと、絵をかいたり携帯をいじっていた娘も、やがて照明を消して、
布団に入って眠る体制に入っていた。

弟、もはや眠気もピークに達して、横になろうかと思った矢先だったという。

ついに、母の誕生日の8月20日は終わり、時計は午前零時を回った。

「一日持ち越したから、もうお母さんの誕生日と一緒じゃなくなったね。」

「本当だ」

・・・・・・・・・



母と姉が私達のためによういしてくれた 長座布団と、毛布、やわらかいタオルケットは、
とっても心地よく、ウトウト眠りに入りはじめた頃である。

誰かがドアを開けた。

真っ暗な部屋に光が差し込み

弟のシルエットが、暗闇にはっきり浮かんだ。

寝ぼけ眼で、それが弟であることを確認していた。


「お父さんの様子が変だから早く来て!」


弟の声だ。


私は「はっと」目が覚めた。

一人で絵を描きながら、寝落ちした娘も、むっくり立ち上がり

二人で、父の病室に駆込んだ。



やがて

脈拍、血圧、がゼロになった。

もう、何しても無駄なのに

弟が、一生懸命、父の足をさすった。

心臓を両手で押した。



少しして、看護婦が来た。

心電図はすでに全部がゼロになっている。

看護婦が、腕時計で時間を確認した。

当直の医者は少し遅れて来ます。

静か見送る感じにしましょう。

とか細い声で言った。

私たちは、すべてをあきらめなけれならなかった。



医者が入室。

目を指で見開いて眼球を確認。

次に、脈拍をとるため腕を持った。

父の細い手首の内側にある静動脈は動いていなかったのだろう。


時計を見た。

「零時47分、ご臨終です」

医者が深ぶかと頭を下げている。

私はそれをぼんやりと見ていた。



弟が、姉と母に電話した。

真夜中に訃報の知らせを受けた二人は

大雨の中、車で病院に来た。
バケツ
ひっくり返したような大雨で、
まるで、怒っているかのようだったと
母が話していた。

姉が泣いている。

母もうなだれている。

私は、ひとつも実感がわかず、現実を受け止める
ことができなかった。





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